ブログの理念と著者プロフィール

プロフィール

はじめまして、きゃろです(@caro_caro815)。

ぼくは現在、会社員として働いています。
その一方で、毎朝4時半起床して朝活の一環として
あとは本業での隙間時間を利用して

ツイッター運用をしながらネットビジネスを学んでいます。

『今年は人生変える!』
と一念発起してスタートした2020年。
まずは行動から全てこれまでとは変えました。

・一度挫折したコンタクトレンズに再度挑戦して今度は成功、5年間のメガネ生活に終止符。
・アカウントのみ作って8年間放置していたツイッターを本格的に運用開始。
・時間を生み出す手段として朝活開始。

ポジティブ思考で笑顔になるマインドを日々ツイッターで発信しています。
ですが、そんなぼくもこれまでの人生は決して順調と言えるものではありませんでした。

若い頃は行き当たりばったりで、将来よりもその日さえよければ良い思考。
そんなぼくでも、『変わる!』と本気で思って行動したことで

これまでとは真逆の思考と充実した生活を手に入れることができました。

 

このブログの理念

このブログの理念は、一人一人の悩みや不安に寄り添い、その解消法をぼくの見解を踏まえてお伝えして、笑顔になっていただく記事を発信していくことです。

 

父の母へのDVを目の当たりにした幼少〜学生時代

ぼくは物心ついた頃には、両親と弟二人の5人家族で暮らしていました。

後から知ることになるのですが、父とぼくは血が繋がっていません。そう考えると、当時の父のぼくに対する接し方が納得できます。

明らかに弟二人とぼくに対する態度が違ったからです。ぼくもそれは肌で感じていたので、父にはなつきませんでした。

そんな父は酒癖が悪く、しかも暴力的でたびたび母にDVを行っていました。

ぼくと弟はそれをどうすることもできず、ただ震えながら布団の中で抱き合ってそれが終わるのを祈っていました。

そんな生活が、ぼくが中学生になっても続きました。

そして高校受験の真っ只中の夜、決定的な事件が起きました。

例の如く、父が酔って母を殴っています。

ぼくは我慢できずに

「やめろ!」

と父を制止しました。

すると父はぼくに対して

「お前は俺の子どもじゃない!」

と言い放ちました。

母は

「なんで今そんなこと言う必要あるの?受験中なのに!」

と泣いています。

ぼくはそれを聞いた瞬間、なぜか涙が頬をつたいました。

ぼくは父が大嫌いでした。絶対いつか殺してやる!とまで思っていました。

ですから、血縁関係がないと知ったら嬉しいはずなのに、その時はなぜか

泣いてしまいました。

そのことがきっかけで、母はようやく離婚に踏み切りました。

ぼくもそんな母を絶対守る!と決意して、心機一転高校生活をスタートしました。

やってみなきゃわからない精神でブチ上げた高校生活

高校入学したら絶対これは克服する!と思っていることがありました。

それは女性に対する極度の人見知りです。

ぼくは中学生の時まで、まともに女性としゃべることができませんでした。

なぜかと言うと、中学校で女子生徒と喋ると他の男子生徒から冷やかされるのです。

『女たらし!スケベ!』

そんな環境だったものですから、中学生活三年間はほとんど女性に対しては拒絶反応を示していました。

とはいえ、思春期真っ只中の年頃ですから、いつまでもそんな状態が耐えられるわけがありません。

高校ではこれまでの『女子と交流=恥さらし』という雰囲気は全くなく、それどころか他の中学校からきた男子生徒はみんな楽しそうに堂々と女子生徒とおしゃべりしています。

そんな状況を唖然としながら眺めていると、他の中学校からきた男子生徒の友達から

『なんで女子と喋らないの?向こうは喋りたがってるよ』

それを聞いた瞬間、ぼくの中で何かが弾け飛びました。

『女子と話していいんだ、高校入学してよかった!』

それからのぼくは、これまで我慢してフタをしていた感情が溢れ出し、積極的に自分から女子生徒と話すようになりました。

その勢いのままぼくは、とんでもない挑戦をします。

別のクラスの女子生徒に一目惚れをしました。

出身中学も別で面識も全くなく、共通点が何一つありません。

しかも学年で一、二位を争うくらいの美人と評判のまさしく”高嶺の花”です。

そんな彼女ですから、他の男子はみんな彼女のことを敬遠していました。

『どうせ彼氏いるだろ』

『俺なんかが相手されるわけがない』

それを聞いたぼくは逆にチャンスと捉え、ダメもとで彼女にアタックしました。

そしたらなんと交際OKの返事が!

彼女いわく、

『最初はびっくりしたけど、話しかけてくれてうれしかった』

中学まで女子恐怖症だったぼくが、ふとしたきっかけで大変身しました。

 

やる前から諦めていては何も手に入りません。

その経験が今もいきています。

 

 

上京〜最強に厳しいと評判の某運送会社に入社

高校卒業してぼくは、職業安定所を通して東京の某有名運送会社に就職しました。

そこは給料がめちゃくちゃ高い(初任給50万)代わりに、めちゃくちゃハード(勤務時間朝6時から夜11時まで〜繁忙期じゃなく平常時でも)なことで有名でした。

しかも入社してすぐ配属というわけではなく、一週間の合宿があり、そこで地獄の訓練に耐えてはじめて入社が認められるのです。

ぼくと同期で合宿に参加した参加者は約100人ほどいたのですが、合宿終了時には半数がやめてしまいました。

そんな過酷な合宿の最終日には試験があって、教官に対してこれからの目標などを自分の限界以上の声でぶつけるのです。自分では限界以上のつもりでも、教官は簡単には合格をくれません。何度も何度もダメ出しされ、再度後ろに並んで次のチャンスを待ちます。

ほとんどの人が声が枯れてしまい、かすれ声で必死に思いをぶつけています。

そしてぼくは、全体の二番目に合格をもらいました。

教官は、

『惜しかったな、ここでは二番でも本番では一番になれよ、おめでとう』

と祝福してくれました。

これまで鬼だった教官に、最後に涙まじりにこの言葉を言われたぼくは涙を堪えることができませんでした。

それから無事配属され、新たなセールスドライバーとしてのキャリアをスタートさせました。

その時ぼくが地獄の合宿に耐えられたのは、

『大見栄切って上京した以上すぐには帰れない、何がなんでもやってやる!

という不退転の決意があったからです。

 

再度県外就職し、全国を訪問営業する仕事を4年続ける

その後縁あって大阪の営業販売職の会社に転職し、二日後に大阪に行きました。

その時入社したのはぼくを含めて3人だったのですが(他の二人は他府県)、本社に案内されて人事部の方と軽く談笑したあと再び車に乗せられ、空港に向かっていました。

『あの、どこに向かっているんですか?』

と聞くと、運転手の方は

『今から山形県に行くよ、聞いてなかった?』

『は?聞いてないです』

『そう、今から山形に行ってチームに合流して、明日から営業スタートだよ』

ぼくの頭の中は『?』でいっぱいでした。

その時は特に気にせず案内に従いました。

山形のビジネスホテルに着くと、先に到着していた他のメンバーの人たちが、翌日からの営業のための準備作業をしていました。

僕たち新入社員3名はチームのボス(のちにぼくの師匠になる人)の部屋に案内され、仕事の内容を大まかに説明されました。

そしてその日の夜、チームミーティングの場で自己紹介をするタイミングでボスが

『やる気のあるやつから自己紹介しろ!』

と言われてぼくは即挙手しました。

【とにかく1日も早く借金返済する!】

実はこの時ぼくはギャンブルにハマっていて、借金が500万円ありました。

その借金を早く返済して人生をやり直す!

という思いと、他の二人に負けたくない!という対抗心からでした。

そして翌朝、集合時間の30分前にロビーに行くと一緒に入社した一人がチェックアウトの手続きをしています。

『どうしたの?』

と聞くと、その人はバツが悪そうに

『あ、あの、急に母が病気で具合悪くなったらしくて、地元に帰ります。すみません。』

そう言うと、そそくさとその場をあとにしました。

後から聞いた話ですが、どうやらチームの雰囲気に圧倒されて、自分の理想とかなりかけ離れていたようです。

ぼくは一瞬、『同期がこんなに早くやめてしまって寂しいな』と残念に思いましたが、次の瞬間『ライバルが減った、ラッキー!』と切り替えて、余計気合が入りました。

それからがむしゃらに働きました。

誰よりも走り、誰よりもお客さんに声をかけ、誰よりも積極的に一つ上の仕事を目指しました。

その結果、チームのみんなにも認めてもらい、いち早く雰囲気に溶け込むことができました。

全員ビジネスホテルで寝食を共にしていたので、夜プライベートの時間になるとたびたび先輩の部屋を訪れ、仕事を教えてもらいました。

これまで、楽な方に逃げまくっていた自分とは真逆の自分がそこにいました。

スタートしてから一ヶ月が経過した頃、ぼくと一緒に入社したもう一人がやめました。

ボスによると人事部の人は、三人の中でその人が一番期待できると推していたそうです。

それを聞いた時ぼくは、悔しさと優越感でますます気合が入りました。

それから一年が過ぎた頃、ボスに聞かれました。

『お前はいくら稼ぎたいと思っている?』

ぼくは即答しました。

『一ヶ月で100万稼ぎたいです!』

その時の給料は、ボス(打ち込み)=100万

(隊長)=80万

(その他)=60万

要するに一番稼げる(打ち込み)といわれる仕事がしたかったのです。

ボスは

『わかった。俺がお前に一から教えるからついてこい!そのかわり、絶対やめるなよ!』

『ありがとうございます、頑張ります!』

それからぼくにとっての地獄がスタートしました。

これまでいつも笑顔で接してくれていたボスの顔から、一切の笑みが消えました。

一回の営業が終わるたびに移動の車の中で(移動はボスの車をぼくが運転していた)、説教説教の連続。ぼくの心はどんどん追い詰められ、同僚からは

『大丈夫?目が魚の死んだ目になってるよ』

と心配される始末。限界寸前でした。

そんなぼくを心配した隊長(ナンバー2)がぼくを部屋に呼び、

『辛いのはよくわかる、でもボスはお前が憎いわけじゃない。それはわかるよな?それだけ打ち込みはみんなの生活を背負う重責を担っているんよ。できるかできないかじゃない、やるかやらないか、それだけだ!』

とぼくを励ましてくれました。

それからぼくは再び初心を思い出し、勉強・実践・失敗・改善を繰り返しました。

そして数日後、会場の準備をしているときにボスがぼくを呼び、

『ここの会場、やってみるか?』

と言われ一瞬驚きで困惑しましたが、すぐに気を取り直し

『はい、お願いします!』

と承諾しました。

約20人のお客さんの前で打ち込みデビューしました。

緊張で頭の中が真っ白になり、セリフが何度も飛びましたが、みんなに助けられてなんとか売り上げをあげることができました。

それからたびたびチャンスをいただき、ボスほど成約率は上がりませんでしたが、なんとかチームの売り上げノルマ達成に貢献できました。

そして打ち込みデビューして初めての給料明細を、ドキドキしながら開けました。

『総支給額 101万6000円』

冗談抜きで目をこすって二度見しました。

これまでの苦労が報われた思いで感極まりました。

それからチームの人数が増え、1チームで動くには多すぎるということで2チーム編成をすることに。

そしてぼくはボス(課長)から正式に、(店長代理)という役職とチームの責任者という重責を担うことになりました。

この時の経験が、今のぼくの礎を築いたと言っても過言ではありません。

それから約1年程、全国各地を周り営業活動をおこなったのですが、会社の方針転換で僕らのチームは解散することになりました。

30歳を期に帰省し、残った借金(300万円)をトリプルワークで3年で返済

チーム解散後、退職したぼくは地元に帰省しました。

しかし、その時まだ借金が300万円ほど残っていました。

『このままじゃいかん!』

と一念発起し、日中は運送会社でトラックの運転手、夜はカラオケ屋でバイト、カラオケ屋が休みの日は運転代行といういわゆる【トリプルワーク】をはじめました。

寝る時間以外は全てお金に変えるつもりで働きまくりました。

その生活を続けたことによって、20代10年間で返せなかった借金をたった3年で全て完済しました。

その3年間は無我夢中だったので、辛さは全くありませんでした。

出会って二ヶ月で入籍し、二年半後に離婚

借金が0になり、時間とお金が自由に使えるようになったぼくは、人生のパートナーが欲しくなり、マッチングアプリに登録しました。

プロフィールを登録して2時間後、すぐに一人の女性がアプローチしてきました。

その人はぼくより14歳年下で県外から移住してきたらしく、知り合いが欲しくてマッチングアプリに登録したそうです。そしたら偶然ぼくのプロフィールが最初に目についたらしく、気になったのでメッセージをくれたということでした。

すぐに意気投合した僕たちはその日で出会い、それから同居生活をスタートさせました。

『はやっ!!』

って思った方も多いと思いますが、ぼくは相手を見定める期間は必要ないと思っていて、お互いが意気投合したのならその直感にしたがって付き合って、それから相手のことを知っていけばいいという思考でした。

それは今も一緒です。

それでダメなら別れればいいし、実際付き合ってみないと理解し合えないことが多いということもこの時の経験で勉強になりました。

それから二ヶ月後、僕らは入籍し新婚生活をスタートさせました。

新婚当初はラブラブですから、毎日が楽しくて仕方ありませんでした。

ところが月日が経つにつれ、お互いの嫌な部分も当然見えてきました。

ですがぼくにとってはそれは想定内だったので、なるべく彼女の考えを理解しようといつも聞き役に徹していました。

ですがやっぱり彼女はまだ若く、『一人になりたい』という願望がどんどん膨張してきて限界がきてしまったそうです。

ぼくは彼女の助けになりたいという思いはあったのですが、負担にはなりたくなかったので彼女の思いを受け入れて離婚を承諾しました。

二年半という短い結婚生活でしたが、ぼくは全く後悔していません。

彼女を幸せにできなかった罪悪感はありますが、これまで一切したことのない料理を覚え、家事全般をこなせるようになりました。

行動したからこそ得られた経験です。

人生終了思考にさいなまれた一年間

離婚当時のぼくは43歳。

再び独身になったぼくは解放感を味わいましたが、それは一瞬でした。

それからの一年間は全てにおいて無気力になりました。

これまでは『奥さんのために』という生きがいがあったから良かったのですが、それを失った反動は大きく、何をするにしても身が入りませんでした。

『もう疲れたな…人生終わりにしようかな』

そんなことを度々考えるようになりました。

そんなぼくのネガティブ思考を変えるきっかけになったのが『母』の存在でした。

離婚後実家に戻った時の母は、思いのほか小さく、ちょっと見ない間にだいぶ歳とったなぁと思いました。これまでずいぶん自分のわがままで迷惑をかけてしまった母を見て、自分の不甲斐なさを実感しました。

【ただでさえ迷惑ばかりかけてきたのに、親より先に人生終わらすなんて自分勝手にもほどがある。ふざけるな!】

そう自分に対して叱咤しました。

そして、

『母を看取るまで自分が支えて親孝行する』

そう決めました。

 

【2020年は人生を変える!】と決意してから変わったこと

2020年正月、ぼくは

『今年は人生を変える!』

と不退転の決意をして、これまでとは全く逆の行動をはじめました。

・一度挫折したコンタクトレンズに挑戦

・8年前にアカウントを作ってずっと放置していたツイッターを本格的に運用開始

・その流れで、朝活(4時半起床)を開始

まずコンタクトですが、数年前一度眼科で視力検査して、試供品を試したのですがどうしても違和感が払拭できずに挫折しました。それ以来ずっとメガネ生活だったのですが、今年は本業での効率化やプライベートでの変化(女性からメガネをかけない方が良いと言われた)を理由に、再度コンタクト装着に挑戦しました。

メガネ屋さんで視力検査をしたのですが、担当者から

『お客様は乱視が強いので、ソフトは無理ですね。』

と言われたので、ハードの試供品を装着しました。

違和感が半端なく強くて、一度目同様どうしてもハードは無理でした。

これまでのぼくなら、そこで諦めて再びメガネ生活に戻っていたでしょうが、今年のぼくは違いました。

『とりあえずダメもとでソフトも付けさせて下さい。』

とお願いして、試着させてもらいました。

すると、メガネ装着時とほぼ同じくらい視力が上がりました。

それから現在までコンタクトレンズ生活を続けています。諦めずに行動した結果です!

 

その次に、8年前にアカウント作成したものの、ノウハウが全くわからず楽しみ方も無知で放置していたTwitterを、二月から本格的に運用を開始しました。

はじめは訳もわからず、自分の日常をただただアップする超無益ツイートを連発していました。

もちろんフォロワーさんも増えるはずもなく、8年前同様放置しそうになったのですが、やはり『不退転の決意』のおかげで挫折することなく、伸びるTwitter運用を学び、おかげさまで3ヶ月で2000人のフォロワーさん(絆の数)と繋がることができました(8月現在フォロワーさんの数3500人)。思考一つでこれだけ人生変わるものかと、ただただ驚いています。

 

そして、Twitterの流れで朝活もはじめました。

『自己成長のための時間がもっと欲しい』

という思いから、毎朝4時半起床というこれまで未経験のチャレンジをスタートさせました。

途中挫折しそうになりましたが、『不退転の決意』のおかげで8月29日現在、

『朝活180日』を達成しました。

 

上記の行動はいずれも、昨年までのぼくであれば間違いなく全て挫折していたでしょう。

これまで生きてきた46年の過去が、これから先のぼくの人生に対して警鐘を鳴らし、『不退転の決意』を実践させたのだと思います。

ブログのコンセプトのおさらい

ぼくのブログでは、みなさんのそれぞれ持っている悩みに寄り添い、その解消法を46年間生きてきたぼくの経験を踏まえてお伝えしていきます。

時々、

『きゃろさんいつもポジティブですね、コツはあるんですか?』

とか、

『才能ってやっぱり必要なんですかね』

と聞かれます。

はっきり言います。

才能は必要です。

ですが、その才能は誰でも持っています。

自分の可能性を開花させる努力を行動する!

それこそが『才能』であり、誰でもできることです。

あと、ポジティブのコツですが、簡単です。

常にポジティブな人や物事と触れることです。

自分がネガティブだと感じた時は、SNSでポジティブな人に絡んだり、

ワクワクするようなことを妄想したり、楽しそうなイベントに参加したり…

とにかく、自分がワクワクして楽しくなるようなことをいつも考えていることです。

そうすることで、頭の中にネガティブ思考が入る余地がなくなりますから。

 

みなさんを笑顔にするブログをどんどん書いていきますので、どうぞよろしくお願いします。

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。

 

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました